最近、宗教の話が話題になっているので、ちょっと歴史上の宗教の話をしてみたいと思います。
太平天国の乱
みなさんは、太平天国の乱をご存じですか?。1850年頃中国で起きた出来事でキリスト教を信仰する人達があつまり、徐々に宗教から政治へと活動を広げていきます。
当時、中国は清の時代でしたが、その清と戦う事になります。当時の清は増税とインフレで民衆が疲弊していた為、太平天国の集団は勢いを増すばかりでした。
二面性を持つ太平天国という組織
この太平天国という組織ですが、当時では革新的な組織で、例えば、当時地位が低かった女性も男性と同じように、太平天国の活動に参加出来たり、海外の先進的な制度やインフラを取り入れたり、清軍と戦う時も略奪を禁じたりと、なかなか崇高な面を持っていた様です。逆に清軍の方が略奪を放置したりと規律が乱れているという状況でした。
一方で、太平天国は過激な面も持ち合わせていて、仏教や儒教等の他の宗教に対しては、その宗教に関する建造物を破壊する等、今の価値観では考えられない行動もしていました。
当時としては、そこまで非常識な行動ではなかったのかもしれませんが、どちらにしろこの様な側面が逆に、太平天国の勢力を増す事に繋がったのかもしれません。
太平天国の末路
さて、この太平天国はどのようになっていったのでしょうか。実はこの太平天国、相手の清軍に打ち負かされたのかというとそうではなく、実質的には自滅していく事になりました。
清軍には、高い士気や先進的な取り組みがあって、むしろ清軍を圧倒していくのですが、太平天国のトップの権力争いによって、互いに憎み合い、最終的にはトップ同士での殺し合いや組織からの離脱を招いていく事になります。
キリスト教を布教するという目的があったのに、権力争いをしてしまい、そこを清軍につかれて、最終的には清軍に鎮圧されるという結果になりました。
戦いから得たもの
太平天国の乱は、清軍によって鎮圧されましたが、この戦いで清軍の曽国藩は、洋式の最新鋭の武器を持って武装すれば、清軍も強くなる事が出来、諸外国からの圧力に対抗できると考えるようになりました。
この考えが後の「洋務運動」に繋がるのですが、残念ながら曽国藩が太平天国の乱を鎮圧後、すぐに病死してしまった事もあって上手くいきませんでした。
また、この新しい考えを実践できるような新しい体制を作る事も、反対派の勢力に押されて、実行出来なかったようです。
日本との関係
しかし、この状況を見ていた日本は、諸外国からの圧力を警戒すると共に、洋務運動に着目していきます。
この流れが大きく影響して、日本の明治維新に繋がっていきます。太平天国の乱がなければ、日本の明治維新や先進国化はなかったかもしれないですね。
高尚な理念こそ具体的な方法が必要
細かい所はだいぶ端折りましたが、太平天国の乱から明治維新までの流れはざっとこんな感じです。宗教の話からだいぶ飛躍してしまいましたね。
この事からみて、高尚な理念こそ具体的な方法が必要だと感じました。太平天国の人々も、最初はキリスト教の理念を体現できる社会を目指していたのかもしれません。
しかしながら、トップの権力争いという、敵方であり否定していた清国と同じような失敗で自滅してしまいました。
これについては諸説ありますが、高尚な理念をもちつつも、組織運営自体は、個人の力量にまかせた、旧態依然の組織だった事が問題だったようです。
これとは逆に、明治維新を経た日本は立憲君主制に移行して、先進国入りしていきます。高尚な理念を実現できる、具体的な組織運営方法が必要だったのかもしれませんね。